横浜地方裁判所 平成5年(ワ)1622号 判決 1994年7月15日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 本件請求
原告らは、公認会計士・税理士の被告に対し、原告らの相続税修正申告に関する手続を委任したところ、被告が修正申告書を提出したのみで、当該相続税の納期限までに、又は納付すべき日になすべきであった相続税延納許可申請を怠ったため、相続税を一括納付することができない原告らはこれを延滞せざるを得ないこととなり、国に対して延滞税納付義務を負担させられたとして、右延滞税額(原告越部隆子については、平成五年四月三〇日までの分)と延納許可を受けていれば負担することとなったであろう利子税額との差額相当の財産上の損害及び精神的苦痛を被ったと主張して、債務不履行に基づく損害賠償として、次の金員の支払を求めている(附帯請求は民法所定の年五分の割合による遅延損害金であり、その起算日は訴状送達の日の翌日である。)。
一 原告越部隆子
1 金一三七二万四四〇〇円
2 右金員に対する平成五年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員
二 原告中澤益次郎
1 金四七七万七五〇〇円
2 右金員に対する平成五年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員
三 原告中澤良次郎
1 金一九四万三三〇〇円
2 右金員に対する平成五年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員
第二 事案の概要
一 当事者間に争いがない事実及び確実な書証により明らかに認められる事実
1 原告らは、いずれも平成元年一二月九日に死亡した亡中澤てつ(「てつ」という。)の相続人である。被告は、資格を有する公認会計士・税理士であって、横浜市中区長者町において会計事務所を営む者である。
2 てつは、平成元年一二月九日に死亡し、同人について相続が開始した。相続人は、原告三名を含め九名であったが、相続人の一人である二女西村光子に遺産の全部を相続させる旨の遺言が存したことから、同人が遺産全部を相続したとして、同人の委任を受けた吉田篤生税理士が作成した申告書により、平成二年六月五日川越税務署長に対し相続税の申告及び相続税延納許可申請がなされ、延納が許可されていた。
これに対し、原告三名を含む他の相続人から異議が述べられ、相続人間で遺産分割の協議が開始され、平成三年八月二七日に遺産分割協議が成立した。(甲第三号証、第七、八号証)
3 平成三年九月二五日に川越税務署長に対し、①原告越部隆子(原告越部という。)の課税標準額・五億四一三六万七〇〇〇円、納付すべき相続税額・一億七六三九万八八〇〇円とする、②原告中澤益次郎(原告益次郎という。)の課税標準額・一億一八一一万八〇〇〇円、納付すべき相続税額・三九一九万九七〇〇円とする、③原告中澤良次郎(原告良次郎という。)の課税標準額・三五二六万円、納付すべき相続税額・九七九万九九〇〇円とする、被告が作成した原告らの相続税修正申告書一通が提出された。(甲第二号証、乙第一号証の一ないし四)
4 右の相続税修正申告書の提出に先立ち、原告らから、委任事項を①てつの相続財産について所轄税務署長に対し相続税の修正申告をし、また当該申告に関わる税務調査に対して立会説明をすること、②上記の行為に付随する税理士法二条の一切の税理士業務を行なうことの二点とする、「乙野会計事務所 公認会計士・税理士乙野一郎(被告)、公認会計士・税理士乙野太郎」宛の各原告が格別に作成した委任状が存する。(甲第一号証の一、二)
5 相続税の延納許可を申請しようとする者は、その延納許可を求めようとする相続税の納期限までに、又は納付すべき日に、必要な事項を記載した申請書に担保の提供に関する書類を添えて、納税地の所轄税務署長に提出しなければならないものとされている(相続税法三八条、三九条)。しかし、原告らの相続税延納許可申請書は、右期限(本件においては、相続税修正申告書を提出した日である平成三年九月二五日が「納付すべき日」となる。)までに川越税務署長に提出されなかった。
二 争点及びこれに関する当事者双方の主張
1 争点1
原告らと被告との間で、てつの遺産相続に伴う原告らの相続税修正申告に関する一切の手続を被告に委任する旨の契約が成立したか、否か、及び右委任の範囲には、原告らの相続税の延納許可申請をすることも含まれていたか、否か。
(一) 原告らの主張
(1) 原告らは、若井英樹弁護士に遺産分割協議についての代理人を依頼したが、相続税に関しては吉田税理士に相談しながら協議を進めていた。しかし、原告らは、吉田税理士との意思疎通が十分でないなどの事情から、このまま同税理士に税務相談を続けることに不安を覚えたため、平成三年初めころから別の税理士に依頼するつもりでいた。しかして、原告越部の長女瑛子が被告の妻みどりの学友という関係があったことから、瑛子の紹介により以後の手続を被告に依頼することにした。
(2) 原告らは、平成三年四月に吉田税理士に対する依頼を断った上、被告の会計事務所を訪ねて被告に対し、以後のてつの遺産相続に係る原告らの相続税修正申告に関する一切の手続を口頭で依頼した。
(3) 原告らは、遺産分割協議が成立し、相続税の修正申告が必要になったことから、被告に対し修正申告書等の作成と申告を依頼することとなり、平成三年九月一一日に原告ら及び西村の四名で被告の会計事務所を訪ねた。同日被告は出張で不在であったが、被告の事務員からの求めにより、前記一の4の委任状に署名捺印し、持参した各自の印鑑登録証明書を添えて右事務員に交付した。
(4) 右のように、原告らは、相続税修正申告に関する一切の手続を被告に委任した。このことは、川越税務署長宛に提出された前記一の3の相続税修正申告書が被告により作成されたものであり、しかも右修正申告書の作成税理士欄に被告の署名捺印があることからも明らかである。そして、右委任の範囲には、当然に原告らの相続税の延納許可申請をすることも含まれていた。
(二) 被告の主張
(1) 被告は、原告らを含むてつの共同相続人九名に関する相続税の修正申告書の内容を記載したことはあるが、原告らから相続税修正申告に関する一切の手続を受任したことはない。
(2) 被告は、原告越部の娘瑛子の友人である被告の妻みどりの口利きにより原告らの相続処理に関する相談に乗ってあげることになり、平成三年四月一七日原告越部宅を訪問し、原告越部の依頼により原告らが委任している若井弁護士に原告らの意思を説明したり、原告らの立場で若井弁護士の相談に乗ったりして、若井弁護士による相続処理の補助的行為をすることを引き受けた。
(3) 被告が共同相続人らの相続税修正申告のための書類を作成したのは、遺産分割の協議について原告らが委任していた若井弁護士及び他の共同相続人が委任していた弁護士の働きによって遺産分割の協議が成立する段階となり、若井弁護士から、成立する協議の内容によると各相続人の相続税の金額が幾らになるかを試算してもらいたいと言われたので、好意的に試算してあげたもので、遺産の目録及びその評価も既に吉田税理士若しくは若井弁護士の手によって用意されていた資料を基にして、相続税修正申告書用紙を利用して逐次数字を記入して計算をしたにすぎないのである。そして、平成三年八月一四日、計算の結果算出された各相続人の相続税がいくらになるかを表にして記載した書面を若井弁護士宛に提出した。その後、若井弁護士から、吉田税理士から報酬の請求が来ているが未だ払っていない関係もあるので、被告の作成した相続税修正申告書を使用させてもらえるかとの相談があり、被告はそれを承諾した。そして、原告ら三名の分については、相続税修正申告書の作成税理士を被告として、被告の会計事務所から川越税務署長宛に郵送した。
(4) 原告は、原告ら作成の委任状が存在することをその主張の根拠とする。しかし、被告は、右(二)の(3)の若井弁護士との相談の後、九月四日からイギリスに主張するために被告の会計事務所所属の瀬川税理士に原告らの修正申告書を作成するように指示した。瀬川税理士は、前記の経緯を理解していなかったため、同年九月一一日に提出書類の添付書類として通常使用している委任状用紙に原告らの署名捺印を求めたものである。したがって、原告らは、右委任状に署名捺印することにより、被告及び乙野太郎税理士に対し、委任状記載の業務を委任する意思表示を行ったものとはいえない。
また、原告越部は、相続財産のうちの東京都大田区田園調布の土地の一部を売却して納税資金に当てるという考えであり、原告らにはもともと相続税の延納許可申請をする意思はなかったのである。
2 争点2
被告には、右委任契約の債務不履行があったか、否か。
(一) 原告らの主張
被告は、原告らの相続税修正申告に当たり、税務署長に対して提出する相続税修正申告書を適正に作成することはもとより、修正申告に係る相続税の納付につき、原告らに過剰な負担を負わせないように務め、税の一括納付が困難なときは右修正申告に併せて、原告らに対し相続税の延納許可申請手続がなさしめるべき注意義務があった。しかし、被告は、これを怠り、平成三年九月二五日に川越税務署長に対し、原告らの相続税修正申告書を提出したのみで、相続税延納許可申請をしないまま、その期限を徒過してしまった。そのため、原告らは、納付すべき日(平成三年九月二五日)に相続税を一括して納付すべき義務を負わされた。
(二) 被告の主張
被告が、相続税延納許可申請をしなかったことは認めるが、その余の主張は争う。
3 争点3
原告らに生じた損害の有無及びその額。
(一) 原告らの主張
(1) 原告らは、相続税の一括納付は到底不可能であったことからこれを延滞せざるをえなくなり、原告越部については現在も相続税が未納であることから、平成三年九月二六日から少なくとも平成五年四月三〇日までの、原告益次郎及び同良次郎については平成四年一〇月二九日に相続税を完納したことにより、平成三年九月二六日から平成四年一〇月二九日までの延滞税納付義務を負わされた。この遅滞税額と延納許可を受けていれば負担することになったであろう同一期間に係る利子税額との差額は左記のとおりであり、これが被告の債務不履行により、原告らに生じた財産上の損害である。
記
1 原告越部隆子
本税額 一億七六三九万八八〇〇円
延滞税額 二三八八万三二〇〇円
利子税額 一三一五万八七〇〇円
差額(損害額)
一〇七二万四五〇〇円
2 原告中澤益次郎
本税額 三九一九万九七〇〇円
延滞税額 五八〇万七九〇〇円
利子税額 二〇三万〇四〇〇円
差額(損害額)三七七万七五〇〇円
3 原告中澤良次郎
本税額 九七九万九九〇〇円
延滞税額 一四五万〇八〇〇円
利子税額 五〇万七五〇〇円
差額(損害額) 九四万三三〇〇円
(2) また、原告らは、右のように延滞税の納付義務を負担させられたことにより、精神的苦痛を被ったところ、その精神的苦痛を慰藉するに相当な慰謝料の金額は原告越部が三〇〇万円、原告益次郎及び良次郎が各一〇〇万円とするのが相当である。
(3) したがって、原告らに生じた損害の合計は、原告越部が一三七二万四五〇〇円(本訴においては、内金一三七二万四四〇〇円の請求。)、原告益次郎が四七七万七五〇〇円、原告良次郎が一九四万三三〇〇円である。
(二) 被告の主張
原告らの右主張は争う。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 前記第二の一の事実に証拠及び弁論の全趣旨を併せると、次の各事実(当事者間に争いのない事実を含む。)が認められ、原告越部本人尋問の結果及び甲第六号証(同原告作成の陳述書)中右認定に反する供述部分は、右認定事実及びその認定に供した証拠関係に照らしていずれも措信せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) てつの相続人は、長女の原告越部、二女の西村光子、三男の中澤博次郎、五男の原告益次郎、六男の原告良次郎、二男の亡中澤精次郎の代襲相続人である中澤禎次郎ら三名及び四男の亡越部健次郎の代襲相続人である越部聡次郎の九名であった。遺産分割の協議については、原告越部、同益次郎、同良次郎及び西村光子が吉田税理士の紹介により若井弁護士に依頼し、中澤禎次郎ら三名は伊豆隆義弁護士に、中澤博次郎及び越部聡次郎は菊地史憲弁護士に依頼し、それぞれ弁護士を立てて遺産分割の協議を進めていた。遺産分割協議は、原告越部が東京都大田区田園調布の土地を取得する代わりに代償金を支払うことなどを内容とする方向で進んでおり、併せて立ち退く中澤博次郎に同原告が立退料を支払うことなどが話し合われていた。原告越部としては、相続する土地の一部又は埼玉県川越市所在の土地を売却してこれらの資金及び相続税の納税資金を調達する計画であったが、当時は不動産の市況が先行き不透明であり、不動産の売却は早急にしたほうが良いという状況であるにもかかわらず、弁護士同士の話し合いが遅々として進まず、早くしてもらわないと土地が売れなくなるというのが同原告の抱いていた不満であった。そのようなこともあって、原告越部は、吉田税理士を通じて若井弁護士に早く協議を成立させるように頼んでいた。しかし、原告越部は、弁護士同士の話し合いが一向に進展しないばかりか、協議の内容も自分の側が譲歩させられ、相手方のほうが有利に進んでいるように思われてならず、その点についての十分な説明もなかったので、若井弁護士に対する不満を募らせていた。同原告は、若井弁護士との話し合いの場に同席して、同弁護士に対し早く遺産分割協議を成立させるように説得してくれる協力者を探していた。しかし、同原告としては、吉田税理士が税理士として行っている業務については不満はなく、吉田税理士に代わって税理士業務をしてくれる人を探していたというわけではなかった。(甲第六号証、原告越部)
(二) 被告の妻みどりは、原告越部の娘瑛子と友人であったところ、同原告宅を訪れた際、同原告から遺産分割の問題で揉めているとの話を聞き及んだ。みどりは、被告に対し、原告越部から自分が依頼している弁護士との意思疎通がうまくいかないので、手助けをしてもらいたいと言われた旨話した。被告は、事情によっては原告の娘の友人の夫として何かできることがあれば、手伝ってもよいと考え、平成三年四月一七日にみどりとともに原告越部宅を訪れた。当日は、原告越部から金銭的な相談を受けていた住友銀行飯田橋支店の小川支店長も同席していた。被告は、原告越部に対し、どういう状況で困っているのか等の状況を尋ねるとともに、同原告から①吉田税理士が川越税務署長に対して提出した西村光子の相続税申告書の写し、②当時までに纏まっていた遺産分割協議の案を記載した書面及び③右の分割の案を前提とした場合の相続税などの賦課から納付に至るシュミレーションを記載した書面(吉田税理士作成)を資料として見せられた。原告越部は、被告に対し、相続税を支払うために相続財産のうちの東京都大田区田園調布の土地を売る予定で不動産業者に依頼しており、話しはいくつも来ているが、遺産分割協議が成立しないと売ることもできないので、早く遺産分割の協議を成立させたいと説明した。被告は、原告越部から分割協議案のどこに問題点があるかの説明を受けて、手伝うことができる旨答えたが、吉田税理士がいる限り自分が税理士としての仕事を受けることはないと言った。(乙第四号証、第六号証の一、被告)
(三) 被告は、同年四月二七日原告越部の依頼により、同原告、原告良次郎及び西村光子とともに若井弁護士の法律事務所に赴いた。同事務所には、吉田税理士事務所の仙頭税理士も同席していた。被告は、若井弁護士及び仙頭税理士に対し、遺産分割協議を速やかに成立させられるように素人である原告らと若井弁護士との意思疎通を円滑にするための補助的役割を頼まれた旨、その会議に同席する理由を説明した。なお、被告は、仙頭税理士に対しては、相続税に関することは吉田税理士が関与しているので、自分は税理士としてこの場に来たのではない旨説明した。若井弁護士及び仙頭税理士は、右の説明を聞いて異論を差し挟むことはなかった。(乙第三号証、被告)
(四) 被告は、同年六月八日にも若井法律事務所を訪れた。若井弁護士は、遺産分割協議が、原告越部が土地を取得する代わりに代償金を支払うとの方向で纏まる見込みであり、その前提として中澤博次郎が立ち退くことになるところ、原告越部から委任を受けた弁護士としては、同原告が代償金及び立退料を調達して円滑に支払われる確実な保証が必要であったことから、できるだけ早く同原告の資金繰りを考慮した上で、代償金の支払を確実に履行するとの確約を取りたいという強い希望を持っており、被告に対し、同原告からその確約を取ってもらいたいと依頼した。一方、原告越部は、早くしてもらわないと土地が売れなくなるという危惧を抱いており、若井弁護士と原告越部の意思疎通は円滑でないことが窺われた。若井弁護士は、被告に対して、前記住友銀行飯田橋支店の小川支店長と話し合って早くやってもらいたい、そうすれば自分の方は遺産分割協議を早めると依頼した。被告は、小川支店長と相談を重ねたが、相続人の一人が土地に抵当権を設定することに同意しなかったことから、住友銀行はその資金を融資できないということになった。原告越部は、手を尽くして売却先を探していたが、なかなか見つからなかった。被告も信託銀行の不動産部を紹介したりして尽力していた。(原告、被告)
(五) 同年八月ころには、各相続人間で遺産分割の合意が実質的に成立した。また、西村光子は、前記延納許可に基づき、平成三年六月一〇日に第一回分の相続税(本税)一六三三万七六〇〇円を納付済みであり、また、第一回分の利子税一五六七万九六〇〇円についても近く納付する予定であった。そこで、若井弁護士は、被告に対し、右第一回分の相続税及び利子税を各人の相続割合により按分して清算する場合の各相続人の負担分を算出するように依頼した。そこで、被告は、同年八月一四日に「第一回分納相続税及び利子税の各自負担分一覧表」(乙第二号証)を作成して、若井弁護士に交付した。(甲第八号証、乙第二号証、被告)
(六) 若井弁護士は、同年八月二〇日すぎころ、電話で被告に対し、遺産分割協議書が殆どできあがる段階になり、相続税の修正申告と税額計算は吉田税理士に依頼すべきであるが、吉田税理士からは報酬の請求が来ているのにまだその支払がなされていないことから、依頼しても引き受けてもらえそうにないので、各相続人の相続税額の計算を被告にしてもらいたいと依頼した。被告は、遺産分割協議を正式に成立させる段階で、各相続人が負担すべき相続税額を説明する必要があることから、その計算を引き受けることとし、被告の会計事務所の瀬川税理士にその旨指示した。
瀬川税理士は、法の定めた計算順序に従って税額を計算し、その計算に便利な相続税の修正申告書用紙に順次必要事項を記載しながら、各相続人(相続人のうちの代襲相続人中澤敦次郎及び同岡野千秋の分を除く。)の相続税額を算出した。その結果、相続税修正申告書用紙の空欄を埋めた修正申告書が作成された。瀬川税理士は、税額の計算に当たり、遺産の評価等の資料は吉田税理士が作成していた西村光子の相続税申告書の評価をそのまま採用した。
その後、中澤博次郎の代理人をしていた栂野弁護士及び越部聡次郎の代理人をしていた菊池弁護士から、相続税額の算出のために作成した右相続税確定申告書のコピーの交付方の要望があり、被告は、若井弁護士の了解を得てそのコピーを右両弁護士に交付した。両弁護士から被告に対して作成費用を請求してもらいたいとの申入れがあったが、被告は、税理士業務としてやった訳ではないので、費用は必要ない旨答えて謝絶した。なお、瀬川税理士が作成した相続税修正申告書は、相続税を納付すべき七名の課税価格の計算、各人の算出税額の計算、各人の納付税額の計算、その他の必要事項がすべて記載されており、各相続人は、記入されている自分の名下に印鑑を押すだけで、相続税修正申告書として税務署長に提出することが可能なものであった。(甲第二号証、第七号証、乙第一号証の一ないし四、被告)
(七) 平成三年八月二七日には、各相続人が遺産分割協議書に署名捺印して、遺産分割の協議が成立した。若井弁護士は、電話で被告に対し、相続税の修正申告をしなければならないが、本来は吉田税理士にやってもらうべきところ、前記のとおり報酬も支払っていない関係もあるので、税額の計算をするときに作成した修正申告書のコピーを被告が持っているので、それを利用させてもらいたいと依頼した。被告は、同じもので済むことでしたら、それで結構ですと答えた。(甲第二、三号証、乙第一号証の一ないし四、被告)
(八) 被告は、同年九月四日からイギリスに出張することから、事務所の瀬川税理士に対し、修正申告書を作って原告から判子を貰っておくように指示し、原告越部に対しては、修正申告は自分が不在につき瀬川税理士にやらせるので同税理士と打合せするように電話で連絡した。瀬川税理士は、通常被告の会計事務所が税の申告書の作成を依頼されたときの手順で処理することとし、原告越部に対し、電話で原告らの印鑑と印鑑登録証明書を同年九月一一日に持参するように指示した。
原告越部及び同良次郎は、同日被告の会計事務所において、瀬川税理士に対して原告らの印鑑登録証明書を提出し、同税理士の求めに応じて同税理士が作成しておいた相続税修正申告書の該当欄に原告らの捺印をするとともに、原告ら作成名義の前記認定の委任状に署名(ただし、原告益次郎の署名は、同越部が代行した。)捺印した。被告は出張から帰国後、右相続税修正申告書の作成税理士欄に署名捺印した上、川越税務署長宛に郵送した。右相続税修正申告書は、同年九月二五日受理された(なお、法律的には修正申告ではなく、期限後申告になる。)。(甲第一号証の一、二、第二号証、第六号証、原告、被告)
(九) 原告越部は、申告に係る相続税を納付すべき日に納付しなかった。原告越部は、平成三年一二月ころ川越税務署長からの督促状を受け取ったため、その旨被告に連絡した。被告は、同原告の説明によると、相続した土地を一二月までに売却して納付する予定であるが事情があって不可能ということであったので、このまま放置しておくと不利になるから国税局に事情を説明して、納付について相談したほうが良いと助言をし、被告も同原告に同行して国税局に出頭することにした。同年一二月一一日、被告は、同原告とともに関東信越国税局に出頭した。同国税局の塚田係官は、原告越部に対し、督促、そして差押えという手続に進むという徴収手続の流れを説明した。被告は、塚田係官に対し、予め原告越部から説明を受けていたとおり、土地を売却して納付するので、売却予定土地(原告越部、同良次郎及び中澤博次郎が共有取得した東京都大田区田園調布四丁目三〇番三宅地779.60平方メートルのうち、360.43平方メートル〔実測面積〕。なお、この土地は、前記認定の遺産分割協議において、平成三年一二月末日までに売却することが合意されている〔甲第三号証の遺産分割協議書の一二項〕。)を差し押さえられると売却に支障が出るから差押えは同原告が単独で取得した土地(東京都大田区田園調布四丁目三〇番三宅地779.60平方メートルのうち、414.03平方メートル〔実測面積〕)に対してしてもらいたい旨説明した。被告は、塚田係官が原告越部側の申入れの趣旨にそって手続を進めることを表明したので、塚田係官との話の趣旨を若井弁護士に伝え、平成四年一月一六日若井弁護士とともに、関東信越国税局に出頭し同弁護士を塚田係官に引き合わせて、爾後の手続を同弁護士に引き継いだ。滞納処分としての差押えは、平成四年二月二八日に、原告越部側からの申入れの趣旨に従い、同原告が単独で取得した土地に対してなされた。(乙第六号証の五、原告、被告、弁論の全趣旨)
(一〇) 被告は、原告らに対し、税理士業務に対する報酬の請求を全くしていない。(被告、原告)
以上の事実が認められる。
2 原告越部は、その本人尋問及び甲第六号証の陳述書において、「私が被告に遺産分割協議の経緯を説明したところ、被告は『お易いことですのでお手伝いしましょう。税務のことは勿論、それ以外の若井弁護士との折衝も全部やってあげましょう。また、吉田税理士がついていると私が協力しづらいので、吉田税理士は止めてもらってください。』と言って引き受けてくれたので、西村光子及び原告良次郎とも相談の上、吉田税理士に対する依頼を直ぐに断った。」と供述している。しかしながら、被告の指示により吉田税理士に対する依頼を直ぐに断ったとの点について、反対尋問に対しては暖昧な供述に終始していることに加え、同原告は吉田税理士に対して何の不満も持っていなかったのであるから、同税理士に対する依頼を断る合理的な理由もないし、平成三年四月二七日の打合せには吉田税理士の事務所の仙頭税理士が出席しており、その場で被告が自分の立場を説明していることが認められるのであって、被告本人尋問の結果に照らしても、同原告の右供述を措信することはできない。
また、原告越部は、「私と西村光子及び原告良次郎の三名で品川のホテルで被告と会い、正式に遺産分割に関する税務の相談、処理全般を依頼した。」とも述べている(甲第六号証)。しかし、原告越部はその本人尋問(反対尋問)において、被告に対して遺産分割協議書に早く判を押して成立させる状態にするように若井弁護士に頼んでもらいたいと依頼した旨供述しているところであり(なお、「遺産分割に関する税務の相談」も依頼したとの供述部分もあるが、右供述部分をもっては甲第六号証でいう「正式に遺産分割に関する税務の相談、処理全般」を依頼したものと解することはできない。)、被告本人尋問の結果に照らしても甲第六号証の右供述部分は信用できない。
3 右1に認定の事実に基づき考察する。
(一) 右認定事実をもっては、原告らが平成三年四月に被告に対し、原告らの相続税修正申告に関する一切の手続を依頼したとの原告ら主張事実を認めるに足りない。右認定の経緯に照らすと、被告は平成三年四月には、遺産分割の協議の円滑進行、早期成立を期するため、若井弁護士に対して原告側の意向を説明したり働きかけをしたりする等の同弁護士の補助的役割を依頼されたにすぎないというべきである。
(二) しかし、被告は、平成三年八月二七日の遺産分割協議成立の後、原告らの代理人である若井弁護士から原告らの相続税修正申告書の作成を依頼されてこれを承諾しており、また、そのころ被告の会計事務所所属の瀬川税理士にその処理を任せるとともに、原告越部に対してその旨伝え、原告らは同年九月一一日瀬川税理士の指示により同税理士作成の相続税修正申告書の該当記名欄に捺印し、前記の内容の委任状を作成して印鑑登録証明書とともに提出したところ、被告は後日右申告書に作成税理士として署名捺印して川越税務署長宛に郵送していることが認められるのであり、これらの経緯に照らすと、原告らと被告との間には、同年九月一一日原告らの委任を受けて被告が本件相続税修正申告をし、当該申告に係わる税務調査に対して立会い説明をすること及びこれらの行為に付随する税理士法二条所定の税理士業務を行うことを内容とする委任契約が成立したものと認めるのが相当である。
(三) ところで、税理士の業務は、税理士の独占業務として法規制を加える関係から、その範囲が法文上明確に規定されており、税務代理(税務官公署に対する申告、申請、請求若しくは不服申立てにつき、又は当該申告等若しくは税務官公署の調査若しくは処分に関し税務官公署に対してする主張若しくは陳述につき、代理し、又は代行すること〔税務書類の作成にとどまるものを除く。〕)、税務書類の作成(税務官公署に対する申告等に係る申告書、申請書、請求書、不服申立書等を作成すること)及び税務相談(税務官公署に対する申告、申請、請求若しくは不服申立て、税務官公署に対してする主張若しくは陳述又は申告書、申請書、請求書、不服申立書等の作成に関し、課税標準等の計算に関する事項について相談に応ずること)に限られる(税理士法二条)。そして、右の税理士業務を前提として税理士と納税義務者との間に締結される委任契約において目的とされる業務の範囲は、当事者の合意により千差満別である。そのうち、税務代理については、それが納税義務者本人に代わってする申告、申請、請求、不服申立て等の代理・代行であって、その効果が委任者である納税義務者本人に帰属するものであることから、その権限の範囲を具体的に明らかにするため、その権限を証する書面(委任状)を税務官公署に提出することが必要である(税理士法三〇条)。したがって、具体的な委任契約が如何なる範囲の業務を目的として締結されたかどうかの判断は、委任状表示の委任事項の記載及び委任に至る経緯等から、当事者の意思を合理的に解釈してこれを決すべきである。
(四) これを本件についてみるに、原告越部は、若井弁護士の補助的業務を依頼していた当時から、被告に対し、吉田税理士が作成した相続税の賦課から納付に至るシュミレーションを記載した書面を示して、相続財産のうち東京都大田区田園調布の土地を売却して相続税を納付する予定で、不動産業者にも依頼していて話しがいくつも来るが遺産分割協議が成立しないと売ることもできないと話していたことが認められるところ、遺産分割の成立に至る過程において、相続税を一括して納税することができないことを話したことはなく、相続税の延納許可の申請をしたい意向を示したことも認められない。また、相続税の延納許可の申請をするには、担保を提供することが必要であり、担保の提供に関する書類(担保提供書のほか、担保が土地であれば登記簿謄本、固定資産税の評価証明書、抵当権設定承諾書〔印鑑登録証明書添付〕)を添えて、賦課される相続税額のうちの現金納付額及び延納を申請する額及び分納期間等を記載した相続税延納申請書を提出しなければならないものとされている(相続税法三九条一項、甲第八号証)。しかしながら、遺産分割の協議が開始されてから本件相続税修正申告に至る過程において、原告らの間において延納許可の申請をするということはもとより、担保の提供に関する事柄、延納申請する税額、何回の年賦で納付するか等の事柄について話し合った事実はなかったのであり、被告と原告らの間においてもそのような話題が出た事実は認められないのである。これらの事実に、若井弁護士(弁護士は、当然、税理士の事務を行うことができる〔弁護士法三条二項、税理士法五一条〕。)からの依頼が「修正申告書のコピーを利用させてもらいたい」というものであって、その趣旨が相続税修正申告書の作成に限定したものと解されること及び委任状の記載を併せると、原告らと被告との間に締結された委任契約は、前記委任状に明記されたとおり、「相続税修正申告、税務調査の立会、説明及びこれらに付随する税理士業務」であり、原告らの相続税延納許可申請をすることを含まないことが明らかである(相続税延納許可申請は、「相続税修正申告」に付随する税理士業務であるともいえない。)。
(五) したがって、争点1については、右説示の内容の委任契約が成立したことは認められるが、右委任契約には相続税延納許可申請をすることも含まれるとの原告らの主張は、採用することはできない。
二 争点2について
原告らは、被告は修正申告に当たり、相続税修正申告書を適正に作成することはもとより、当該相続税の納付につき、原告らに過剰な負担を負わせないように務め、税の一括納付が困難なときは、原告らに相続税の延納許可申請手続をさせるべき注意義務があったと主張するので判断する(なお、右主張は、前記委任契約には相続税延納許可申請をすることも含まれるとの争点1についての原告らの主張が理由がないとされる場合においても主張する趣旨と解される。)。
1 税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそって、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とするものである(税理士法一条)。また、税理士法が税理士業務を遂行するに当たっての税理士の権利又は義務について各種の規定を置いていることを考慮すると、税理士制度は、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現に資することを究極の目的としているものと解される。もっとも、納税義務者が税理士に対して税務代理を依頼する関係は、民法上の委任であるから、税理士は委任の本旨に従い、善良なる管理者の注意をもって受任事務を処理する義務を負うことはいうまでもない。したがって、原告らから「相続税修正申告、税務調査の立会、説明及びこれらに付随する税理士業務」について税務代理を依頼された被告としては、右の委任の目的に適合するように事務を処理して、課税標準及び相続税額の計算を適正に行って相続税修正申告書を作成してこれを申告し、税務官吏による調査があった場合にはこれに立会い、説明をするなどして、原告らの相続税の納税義務が適正に実現されるように配慮する義務があるというべきである。
2 税理士の業務は、法律をもって税務代理、税務書類の作成及び税務相談に限定されており、しかも右の三者もその内容が法律上限定的に列挙されていることも前記説示のとおりである。原告らは、「相続税修正申告、税務調査の立会、説明及びこれらに付随する税理士業務」の委任を受けた被告は、原告らに相続税の延納許可申請手続をさせるべき注意義務があったと主張するが、被告が原告らから受任した被告の税務代理事務は右のように限定された事務であるから、そのような注意義務はないというべきである。たしかに、相続税の修正申告の事務を受任した税理士が後見的立場から、納税義務者に対して一括納付が可能かどうかを質問し、延納許可を受けて分納するしかないという事情がある場合において、納税義務者にそのような助言をし、延納許可申請を慫慂し又はその事務をも委任するように勧めることは、もとより好ましいことといえよう。しかし、被告がそのようなことを積極的にしなかったからといって、前記の事務の委任を受けたにすぎない被告に委任の本旨に従った債務の履行がなかったものということはできない。そして、前記第三の一の1に認定の事実によると、被告は「相続税修正申告、税務調査の立会、説明及びこれらに付随する税理士業務」の委任の本旨に従って、委任された事務を適正に処理したものというべきであり、この点に債務不履行があったとはいえない。
3 原告越部は、その本人尋問において、不動産が直ぐに売れるかどうか分からないので、被告は当然延納許可申請をしてくれると思っていた旨供述している。たしかに、原告越部に限らず、原告らはそのように思っていたかも知れない。しかし、原告らは、延納許可申請を被告に依頼もしていないし、相続税納付の詳細な計画や担保として提供する財産関係を示して延納しなければならない事情を説明していないだけでなく(被告は、平成三年四月の時点で、吉田税理士作成のシュミレーションを見ているにすぎない。)、前記のように限定された委任事項を記載した委任状を提出しているのである。原告らは、委任状を提出し、相続税修正申告書に捺印する段階でそのような説明をすべきであったというべきであり、延納許可申請がなされなかったことについての非は原告らにあるといわざるをえない。
4 したがって、争点2に関する原告らの主張は、採用することができない。
第四 結論
以上の認定と判断の結果によると、原告らの本件請求は、争点3について判断するまでもなく理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡邉等)